1月17日

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 「私、本当は今日、出産予定日やってん。でもびっくりしたらしくて、5日も遅く生まれてきたんよ」

「へぇ。あやは逆子やったらしいんやけど、驚いて戻ったって聞いた。それで帝王切開しなくてすんだんやって」

 

残業続きで疲れ果て、通勤電車のつり革に全体重を預けて半分意識を手放しながら、そんな声を聞いた。

 

あぁ、今日は1月17日だ。阪神大震災があったあの日だ。ぼんやりとそう頭によぎる。

 

目を開いて話の主たちをみてみると、若い女性の二人組だった。前後の話の内容から、もうすでに社会に出ているのがわかる。

 

あの震災の年に生まれた子どもたちは、もうこんなに大きくなっているのか。こんなにも月日が経ってしまっていたのか。なんとも不思議なかんじだ。

 

 

当時、私は小学生だった。

 

揺れで目が覚め、朧げな記憶を頼りに布団にもぐりこんだ。早く終わりますように。ただひたすらそう願っていたことを覚えている。

 

揺れが止まったあとも布団から出てもよいのかわからず、母が声をかけるまで丸まっていた。言われるがまま、物が散乱とした部屋で、箪笥から飛び出した自分と弟たちの服をかき集め、着替えた。その朝食べた、冷え切った食パンは味がしなかったような気がした。

 

電話は通じなかったから、いつもは握らない弟の手をしっかり握り、小学校にも行った。当然ながら学校は休校で、そのまま帰宅することになった。歩きながら感じた揺れに、弟の手をさらに強く握ったのは、私自身が怖かったからだったはずだ。

 

半壊した家がみえた通学路。

知っていたはずの場所が瓦礫の山となり、火の海になっていたあのブラウン管の中の光景。

 

今も忘れられない。

 

幸い、私の知っている人は亡くなってはいない。それでもあの光景は、私にとって恐怖だった。しばらくは、わずかな揺れにも怯えていたし、今でも揺れたかどうかのわずかな揺れにも敏感に反応してしまう。

 

時が経てば、立ち上がり、前を見て歩き出せる。笑えるようにもなる。それは確かだ。

 

だけど、全ての傷が癒えるわけではないと思う。記憶が薄れていき、癒えたようにみえても、またふとした瞬間に疼く傷は間違いなくあるのだ。底のない悲しさも、塞ぐことのできない闇もある。

 

それでもいい。そのほうがきっといい。

忘れてしまうほうが辛いことだってある。それすら抱えたままで、今をしっかり生き、幸せになれればいいんだと思う。

 

 

今朝の激しい雨は、もしかしたらご遺族の心を表したものだったのかもしれない。

 

蝋燭の灯りを見守り続けた方たちの心が少しでも晴れてくれますように。明るい光が照らされていますように。心まで冷やしきりませんように。

 

被災者のご冥福とともにそう祈っています。