美味しい一杯の珈琲のために
昨年の誕生日、自分に用意したのは手引きの珈琲ミルとドリッパー。自分で入れた珈琲が一番好き、ってなんて贅沢なんだろう。そう思ったから。
美味しい!と大絶賛は、…することは実はまだない。けれど、面白いな、とは感じている。
同じ種類、同じタイミングで買った珈琲豆を、同じ分量だけ、同じような粗さで、同じだけの時間をかけて入れたはずなのに、同じ味にはならない。
それがとても不思議で、まるで実験のような楽しさがそこにあって、買った自分を心から褒めてあげたい。
珈琲も、仕事も、勉強も、ほかの何かだって。はじまりは、いつも同じ。まずは基本通りに何度かやってみる。それがなんとなく自分の中に落とし込めたら、少しずつ変えてみる。データをとって、自分仕様にカスタマイズ。私はこの過程が好き。
0を1にする能力は、残念ながら私は得意とするところではないみたいで、基本がないと人より一回りもふた回りも遠回りすることになる。でも、だからといって悲観はしていない。
人の真似をすることは昔から得意としていたし、どうしてそうなるのか共通点を見つけるのも楽しい。要するに、1を10にすることはそんなには苦手としていないのです。
とはいえ、珈琲豆は生き物なので日々変わっていく。同じ入れ方をしても豆のほうが勝手に変化するものだから、結局は同じにならない。
むむー、と思いながら、あーでもない、こーでもない、なんて言えるのはむしろ幸せなことな気がする。なんだか愛おしいとも思う。珈琲を引いたり、お湯を注いだり、手間暇をかけることが。
昨日より美味しくない日もあれば、とびきり美味しくなることもある。まるで本当に人間みたい。まだまだ美味しい珈琲の入れ方の実験は続きそうです。
あれから半年
自分の好きなものがわからない、と泣いたのは夏前だった気がする。あれから約半年。今もまだわからない。けれど、今の気持ちを少しだけ備忘録代わりに残しておこうと思う。
*
旅に出たい。行ったことのない場所に行って、きれいなものをたくさん見て、風に吹かれながらぼーっとして、たくさんの地を歩いて疲れ果てて、海を眺めながら幸せだなぁと呟いてみたい。
言葉に触れていたい。本やウェブで素敵な言葉たちをたくさん読みたいし、映画ももっと観たい。自分で書いてみるのもいいかもしれない。感情が人より薄い分、言葉を通してそういったものを最大限に感じてみたい。
自由に軽やかに、そうありたい。自分の好きなときに行きたい場所に行って、好きだと思える仕事をひゃーと言いながらもやり切る。
約束事があるのは当然だけれど、その中で最大限にマイペースにあれたらいい。
アドバイスは欲しいけど、強要されるのはいや。やり方を指図されると反発してしまうし、それくらいならたとえ失敗しても遠回りしても、自分でやりたい。
もちろん他の人も好きなようにやればいいと思うし、強要なんか絶対したくない。(どちらかというと強要されるより、するほうがよりいやだ。)
あとはもう今年こそは遊ぶ。遊ぶように仕事もできる環境を築いていきたいし、遊ぶのも本気で遊ぶし、なんならもう自分の人生自体を遊びだと思いたい。
*
この“したい”を“する!”に変えることから始めてみようかな。私が私でいられるように。
好きなものは何ですか。
あなたの好きなものは何ですか?
そう聞かれた時、頭が真っ白になった。それはずっと考えていて、考えているのにわからなくて、考えれば考えるほど着地点の見えない問いだったから。
小説やマンガを読むことが好き。本当に?
絵を描くのが好き。本当に?
空を眺めることが好き。本当に?
美味しいものを食べることが好き。本当に?
本当に? 本当に? 本当に?
好き、と唱えた後に呪いのようにその言葉がつきまとう。嘘じゃない。嘘はついていない。でも本当かどうかなんてわからない。
そう、わ か ら な い。
けれど、わからない、と口にすることは憚られた。それを問うた人は私の憧れの人だったからかもしれない。自分の好きなものもわからないなんてと失望されるのが怖かったというのもある。でも何よりも、それを認めることは、自分の中に何もないと認めることと同意義な気がしたから。
だけど、いくら考えても答えは出てこない。好きなものはわからず、時間は過ぎていく。
その間、彼女は何も言わず、ただ優しく笑っているだけ。待たされるのは苦ではないよ、ゆっくり考えたらいいよ、と。私はそれに甘えながらも、結局はその言葉を最後まで言えず、その代わりにぽろりと涙が一粒こぼれ落ちた。
「そっか、つらかったね。たくさん我慢してきたんだね。がんばってたんだね」
私はまだ何も話していないのに、彼女のくれた言葉。わかってくれた、それがこんなにも嬉しいなんて。
ぽつり、ぽつり。言葉を探しながら。まるで知っている単語を繋ぎ合わせただけのような。私の言葉にならない言葉たちを、彼女は拾い集めて耳を傾けて、ただ受け止めてくれる。そして、最後にチロルチョコを一粒と私の欲しかった言葉を。
「大丈夫だよ」
うん、大丈夫。まだ胸を張って、これが好き、と言えるものはない。それでもきっとこれらのかも、と思うものはある。だから、大丈夫。正解なんてなくてもいい、私の信じる答えを見つけよう。ゆっくりでいい、私のペースで、進んでいこう。
あなたの好きなものは何ですか?
1月17日
「私、本当は今日、出産予定日やってん。でもびっくりしたらしくて、5日も遅く生まれてきたんよ」
「へぇ。あやは逆子やったらしいんやけど、驚いて戻ったって聞いた。それで帝王切開しなくてすんだんやって」
残業続きで疲れ果て、通勤電車のつり革に全体重を預けて半分意識を手放しながら、そんな声を聞いた。
あぁ、今日は1月17日だ。阪神大震災があったあの日だ。ぼんやりとそう頭によぎる。
目を開いて話の主たちをみてみると、若い女性の二人組だった。前後の話の内容から、もうすでに社会に出ているのがわかる。
あの震災の年に生まれた子どもたちは、もうこんなに大きくなっているのか。こんなにも月日が経ってしまっていたのか。なんとも不思議なかんじだ。
*
当時、私は小学生だった。
揺れで目が覚め、朧げな記憶を頼りに布団にもぐりこんだ。早く終わりますように。ただひたすらそう願っていたことを覚えている。
揺れが止まったあとも布団から出てもよいのかわからず、母が声をかけるまで丸まっていた。言われるがまま、物が散乱とした部屋で、箪笥から飛び出した自分と弟たちの服をかき集め、着替えた。その朝食べた、冷え切った食パンは味がしなかったような気がした。
電話は通じなかったから、いつもは握らない弟の手をしっかり握り、小学校にも行った。当然ながら学校は休校で、そのまま帰宅することになった。歩きながら感じた揺れに、弟の手をさらに強く握ったのは、私自身が怖かったからだったはずだ。
半壊した家がみえた通学路。
知っていたはずの場所が瓦礫の山となり、火の海になっていたあのブラウン管の中の光景。
今も忘れられない。
幸い、私の知っている人は亡くなってはいない。それでもあの光景は、私にとって恐怖だった。しばらくは、わずかな揺れにも怯えていたし、今でも揺れたかどうかのわずかな揺れにも敏感に反応してしまう。
時が経てば、立ち上がり、前を見て歩き出せる。笑えるようにもなる。それは確かだ。
だけど、全ての傷が癒えるわけではないと思う。記憶が薄れていき、癒えたようにみえても、またふとした瞬間に疼く傷は間違いなくあるのだ。底のない悲しさも、塞ぐことのできない闇もある。
それでもいい。そのほうがきっといい。
忘れてしまうほうが辛いことだってある。それすら抱えたままで、今をしっかり生き、幸せになれればいいんだと思う。
*
今朝の激しい雨は、もしかしたらご遺族の心を表したものだったのかもしれない。
蝋燭の灯りを見守り続けた方たちの心が少しでも晴れてくれますように。明るい光が照らされていますように。心まで冷やしきりませんように。
被災者のご冥福とともにそう祈っています。