美味しい一杯の珈琲のために
昨年の誕生日、自分に用意したのは手引きの珈琲ミルとドリッパー。自分で入れた珈琲が一番好き、ってなんて贅沢なんだろう。そう思ったから。
美味しい!と大絶賛は、…することは実はまだない。けれど、面白いな、とは感じている。
同じ種類、同じタイミングで買った珈琲豆を、同じ分量だけ、同じような粗さで、同じだけの時間をかけて入れたはずなのに、同じ味にはならない。
それがとても不思議で、まるで実験のような楽しさがそこにあって、買った自分を心から褒めてあげたい。
珈琲も、仕事も、勉強も、ほかの何かだって。はじまりは、いつも同じ。まずは基本通りに何度かやってみる。それがなんとなく自分の中に落とし込めたら、少しずつ変えてみる。データをとって、自分仕様にカスタマイズ。私はこの過程が好き。
0を1にする能力は、残念ながら私は得意とするところではないみたいで、基本がないと人より一回りもふた回りも遠回りすることになる。でも、だからといって悲観はしていない。
人の真似をすることは昔から得意としていたし、どうしてそうなるのか共通点を見つけるのも楽しい。要するに、1を10にすることはそんなには苦手としていないのです。
とはいえ、珈琲豆は生き物なので日々変わっていく。同じ入れ方をしても豆のほうが勝手に変化するものだから、結局は同じにならない。
むむー、と思いながら、あーでもない、こーでもない、なんて言えるのはむしろ幸せなことな気がする。なんだか愛おしいとも思う。珈琲を引いたり、お湯を注いだり、手間暇をかけることが。
昨日より美味しくない日もあれば、とびきり美味しくなることもある。まるで本当に人間みたい。まだまだ美味しい珈琲の入れ方の実験は続きそうです。